先日から歯医者に通っています。歯医者さんに通ったことがある人は言われたことがあるこのセリフ。
いったいどの程度が「痛い」の境界線なのだろうか?
本音を言えば先生が持つドリルの「キーン」という音が精神的に痛いので手を挙げたい気持ちなのだが、真剣なまなざしで先生に「キーンという音が痛くてもう限界です」と伝えたら歯医者以外の別の病院に紹介状を出されてもおかしくはないと思うし、ヘタすれば歯医者さんから出禁をくらう可能性もあるので言えないでいます。
私は昭和生まれのオジサンなので”我慢”とか”忍耐”とか”根性”を叩きこまれた世代だ。
最近では「しなくてもいい我慢は逃げて良し」が普通だと思うし、それで全然いいと考えている。
ただ、こと自分のことになると「この程度の痛みで手を挙げていいのだろうか?」
「おいおい、甘えてんじゃないよ!歯が痛いのは自分のせいだろ?」ともう一人の自分が問いかけてくる。
自由に生きていいはずなのに、
どうして「我慢」がおこるのか。
「我慢」って、そもそも何のためにするの?
不確かな未来のため?
いや、未来が少しでもよくなるように、
希望や願いを持つからこそ、我慢するのだ。未来に希望が見えたとき、人は我慢できるのだ。
そして、左手問題と同じくらい気にしているのが、
「うがいしてくださ~い」
と、言われて椅子の背もたれが「ウイィィィィン~」と上がってくるよりも先に、腹筋運動の要領で上体を起こしてうがいを行っていることです。
