先日、学校の先生とお話する機会がありまして、「我慢させない教育」という考え方もある、ということを教えて頂きました。
我慢しないことって素晴らしいんですけど、我慢しなきゃいけない時もありますよ!ということで、よくよく考えたら我慢には種類があるということに辿りつきました。
”耐える我慢”と”動く我慢”です。
と、あくまで僕が思うことなので参考にしてくださいね。
耐える我慢
これは単純に忍耐です。例えば職場では髪の色は派手過ぎないようにしましょう、靴下は黒か白で、なんてものは合理的理由なんて特にないはずなんですよ。
雨が降っているから野球の試合ができないね…、なんていうのも自然現象なので人知を超えた不条理なものですから、このようなものは耐える我慢が効いてくると思います。
最近は都知事選のニュースも目にしますが、多数決で負けた場合も個人では理不尽に感じても集団としては合理性があるということで我慢しなきゃいけないこともあります。
動く我慢
動く我慢って何?っことですが、身近なところで言えばダイエットが近いかもしれません。
目標体重のために”甘いモノの食べ過ぎを制限”や”消費カロリーを増やすための運動”をこなします。食べるのを我慢、やりたくない運動をする我慢、という感じです。
こっちの我慢は比較的に簡単に「我慢しなくていい」ことに辿りつきます。それは”諦める”だけです。希望があり、現実とのギャップがあるからそれを埋めようとして頑張るわけですから、希望を失くせば全て解決します。
別に痩せなくてもいっか~、となれば食べ物も我慢しなくていいし、運動や筋トレもしなくていいですよね。
ふたつの我慢の違い
これって問題を解決するかどうか?ですね。動く我慢は「希望を叶えたら我慢しなくていい」という状態を目指して我慢しているわけです。(合ってるかな?笑)
耐える我慢は環境に対する我慢なので基本的に”耐える”しかないんですよね。ゴールは特にないと思います。雨が降って野球ができない気持ちで心がいちいち沈んでいたら耐えられないですから「しょうがない」と言うことになります。
動く我慢が負けるとき
これって先ほども書いたように「希望がなくなったとき」です。
大げさなことを言いますが、息子も含め野球少年たちは口をそろえて「プロ野球選手になりたい!」と言います。しかし、我々大人たちは知っているわけですよ「そう簡単にプロ野球選手にはなれない」ということを。
プロになるために辛い練習を我慢してこなすわけですが、こなしたとしても全員が夢を達成できるとは限らない世界なわけです。
野球少年の何割かは途中で夢を諦めることになるでしょう。怪我?能力?色んな理由で諦めざることになるかもしれません。そんなときにどうするか?周りは違う機会を与えて応援するぐらいしかありませんし、立ち直るには本人が少しづつ力をつけていくことを見守ることしかできないです。
話はそれましたが、大切なのは耐える我慢の場合、線引きをしておくことが大切だなってことです。自分はどちらの我慢をしていてそれは〇〇までなら耐えても良し、超えたら許容しないという意思決定をすることが大切ですね。
身体も同じでセルフケアも動く努力に当てはまるわけです。これは完全にゴールがあるので続けるとゴールに近づくのでおすすめです。諦めそうになったときにお手伝いします。(最後に身体のことかけて満足です)