先日、実弟から「兄貴は自己肯定感が高いよね」と言われました。
はて?最近話題の自己肯定感なのだが、自身で高いと思ったこともないし、すんなり自己を肯定することが難しい事情でもあるのだろうか?
高い低いの比較
自分という生き物は常に変化するもので、身体も歳をとれば老いていくし、考え方は落ち着いてくるものだ。短いスパンで言えば昨日と今日では考え方が変わることなんて頻繁に起こりえる。
考え方が変わればメンタルの浮き沈みも起こりえる、自己肯定感を高める!とは言えど、上がりっぱなしは不自然だし、その逆の下がりっぱなしもおかしいことになる。そこに振り回されてくると病的になる。
自己肯定感は自分を肯定して慰める、もしくは落ち着かせている個人個人の感覚だ。
しかし、高低差を考えると実弟と同様に他人と比較し始めることになる。ここに矛盾が生まれてくる。単純に自己を肯定するだけなのにね。昨日の自分と比べる…というのも、今日の自分とは違うという意味で他人との比較になる。
じゃあ、どうすればいいのか?答えは簡単で「高いとか低いとかじゃなく、ただ自分を肯定すればいい」という結論になりました。
そもそもネガティブを排除しない
「自己肯定感が高い人」というフレーズには低い人は劣っていて、そんな人が抱く感情は捨てるべき!という意味が暗に含まれている気がします。
高いところを目指せば、自分が低いところにいることに気づく。いつまで経っても高いところに行けなければ自分に嫌気がさして自己批判が始まることが多い。
例…(自分はサボりやすいから無理)(自分は我慢できないからダイエットなんか無理)
そして変わらない自分が嫌になって…の繰り返しになるわけです。
そもそも、植物も人間以外の他の動物も自己肯定感に悩みません。そんなものを知らないから。英語圏に「肩こり」がないのと同じですね。肩こりというワードが英語には存在しないので。
そもそも自己肯定”感”ってなに?自己肯定じゃだめなのか?という話なんですが、
別に足りないものでもないですしね。この話になるとネガティブな話をするな、とか言われますが。ネガティブな感情があったっていいと思いません?一切のネガティブを排除する方が気持ち悪く感じます。
だって人間だもの。ネガティブを排除することの方が不自然ではないでしょうか?それも含めて、「いいんじゃない」というのが自己肯定の始まりだと思います。
ただ肯定するだけ。とはいえ、肯定するばかりじゃ反省もしないし、現実逃避になるだけですよね。
私は自身のことを自己肯定感高いとか思ったことはないんですが、自己肯定感高すぎる人って気持ち悪くないですか?笑。宗教の教祖みたいで。人として薄っぺらい印象を持つんですよね。私の性格がねじ曲がっていると思います笑。
だから高めなくていい!という結論に達してしまいました。