”習うより慣れよ”という慣用句があるように、いくら教わってもできないものはできないこともあります。
その逆で、特に教わってなくてもやっているうちにいつしかできるようになっていることもたくさんあります。
学校の勉強も同じで、英語も学校のテストでは及第点ギリギリの友人が留学から帰ってきたらペラペラになっていましたが、使わなければ元の木阿弥ですから、「習慣」というのは怖いモノです。
身体も同じで柔軟性がいい例ではないでしょうか?前屈や後屈などをしてもらった際に、

と言われる方は数知れず、しかし、昔の話をしてもしょうがないです。今の現実に向き合わないといけないです。
偉そうに言っている私も運動中の手の怪我からバーベルを担ぐことで痛みが走るため、筋トレから遠ざかり、息子の野球で鈍った体に鞭を打てば肩を痛め懸垂もできなくなりました。
肩の痛みも軽くなってきたので懸垂にチャレンジしたところ、以前は10回以上可能だった懸垂も今や2,3回がやっとの始末(´;ω;`)
衰えてしまったなぁと嘆いているわけです。
人間の身体はある意味シビアで、動かさない部位や動かさない範囲には情け容赦なくリストラをかけます。
必要のない部分を退化させるのは生物としての必要戦略である、そんな言葉をどなたかがおっしゃってました
いつでも動かせるけど今は必要がないから動かさない。
きっとその程度の軽い認識なんでしょうが身体はシビアです。いつの日かそこの可動性は間違いなく奪われます。
それが嫌なら定期的に動かす習慣をつけておくこだな…と最近感じています。
ということで、久留米市がウォーキングアプリを出しているということで早速ダウンロードしています。こんなものでもない限り歩こうとしないのは人間の性でしょうか。